【鉄道唱歌の旅】東海道編 第一番(新橋)

鉄道唱歌

汽笛一声いっせい新橋を はや我汽車は離れたり
愛宕あたごの山に入りのこる 月を旅路の友として

大和田建樹作詞 『鉄道唱歌 東海道篇』第一番

日本で初めて鉄道が開通したのは新橋・横浜間ということは、歴史の授業で学んだかと思います。
この鉄道唱歌の旅も新橋駅から始まります。

旧新橋停車場

当時の新橋駅は、現在の汐留シティセンター付近にあり、「新橋停車場」という名称でした。

当時の新橋停車場の駅舎を再現した「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」

1871年5月に着工し同年12月に完成した駅舎は、当時まだ珍しかった西洋風のもの。文明開化の象徴として威厳を誇っていたのが想像できます。

1914年に東京駅が開業したことで、新橋停車場の旅客ターミナル機能は東京駅に移り、新橋停車場は貨物専用駅となります。同時に、当時の烏森駅が新橋駅と名を変え、新橋停車場は「汐留駅」という名前になりました(名前の変遷がややこしい…)。

1923年の関東大震災で発生した火災により、汐留駅舎は焼失。
戦後の1986年には汐留駅自体が役割を終え廃止となりました。

1991年から始まる跡地の再開発にあたり、発掘調査を行ったところ、旧新橋停車場駅舎やプラットフォームの礎石などが発掘され、1996年に「旧新橋停車場跡」として国から史跡としての指定を受けました。

現在、新橋停車場があった場所には、その遺構や再現された駅舎、プラットフォーム、0哩標識等が展示されています。また、再現された駅舎の中は展示室となっており、鉄道や旧新橋停車場にまつわる展示が行われています。

駅舎玄関の遺構。この写真に写るのは正面玄関の階段の最下段の切石。当時の写真から階段は9段あったことが分かっています。
復元された0哩標識と軌道、プラットフォーム

新橋駅

翻って現在の新橋駅。

新橋駅東側

汐留口を出て左に行くと、「D51機関車の動輪」と「鉄道唱歌の碑」があります。

D51機関車の動輪

D51形機関車は1936年に誕生した機関車で、蒸気機関車の中では日本で最も製造された形式。
ここにある動輪は1976年に総武・横須賀線乗り入れ記念として、札幌鉄道管理局から譲り受けたもののようです。

鉄道唱歌の碑

そして「鉄道唱歌の碑」。
この碑は、鉄道開通85周年の1957年10月14日、鉄道唱歌の作詞者大和田建樹生誕100周年を記念して建立されたもの。
歌碑の上部には我が国で最初に走った車両である第一号機関車のレプリカが乗り、その下に大和田直筆の歌詞の一部が刻まれています。

また、駅の西側である日比谷口を出るとそこはSL広場と呼ばれる広場となっていて、その名の通り、広場には蒸気機関車 C11形292号機が展示されいます。
この車両は1945年に製造されたもので、1972年の鉄道開業100周年を記念してここに設置されました。

C11形292号機

歌を進めて愛宕の山へ。

愛宕神社

愛宕山の山頂に愛宕神社があるのですが、そこにたどり着くまでの階段は「出世の階段」として有名です。
江戸時代、徳川家光が山上の梅を見て「馬で上って梅をとってこれるか」的なことを言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣曲垣平九郎がこれに成功。曲垣平九郎は馬術の名人として全国にその名を轟かせた…というのがこの階段の由来です。
人によってはゆっくり登らないと危ないくらい急だし、段数もかなりあるのですが、登り切れないことはないと思うので興味がわいたらぜひ登ってみてください。
ちなみに私も自分の足で登っては見たものの、未だ出世はしていません。

出世の階段

山上に社殿があり、その横には社務所があります。夏に行ったときはラムネが販売されていました。


玉垣には寄進者の名前や企業が彫られているのですが、一番目立つところには、お茶漬けの素で有名な永谷園の名がありました。実はここに来るまでにも永谷園の車を見ているのですが、どうやら本社が近くにあるようです。
きっと、永谷園と愛宕神社の縁も深いのでしょう。

最後に

新橋は、単なるターミナル駅ではなく、日本の鉄道が産声を上げた場所です。
文明開化の息吹、蒸気機関車の記憶、そして愛宕山の静けさ──歌詞に描かれた情景は、今も確かにこの街に残っています。

鉄道唱歌の旅はまだ始まったばかり。これからも歌詞に寄り添いながら、その土地の物語を味わっていきたいと思います。

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